正守式投資あふぃり

ワンタップバイで投資勉強しつつ興味あるものをアフィリエイトしていく

『わたしの腰痛物語』第十四話


第十四話


nowloading ~断罪と罰則~



仕事を減らし、休みが多くなり、まず始めたのは「投資」

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「仕事」をもうしたくなかった。

とりあえず毎月家に5万円さえ入れてれば面倒は見てもらえる

なんとか「仕事」せずに毎月5万円稼ぐ方法を探した。


団塊の世代のひとからしたら、私のしようとしていることは「悪い」こと

楽して稼ごうなどという悪い発想


罰が下ったように


2018/03

病院で椎間板ヘルニアと診断される


起きてるのも寝るのも歩くのも座るのも食うも洗うも

全て激痛

5分も座ればくらくらするほどの痛み


それでも私は「仕事」をつづけた。

週3~4回の出勤ではあるものの、歯を食い縛り、運転席で悲鳴をあげ、片道4時間以上の距離を走り、朝が早かったり、逆に夜遅かったり、自律神経がどんどん狂う生活をしながら、病院では「保存療法」を続けていた。

保存療法とは、痛み止を飲みながら自然治癒を期待しましょう、様子を見ましょうということ

痛み止は計6種類ほど試したが、何一つ痛みが収まるものはなかった。
仙骨ブロック注射も効果なし

違う病院を紹介され、また、効かない痛み止めを出され「保存療法」
ここでも仙骨ブロック注射を4回ほど打つも、効果時間30分~1時間。
家に帰る頃にはもと通りだった。

2018/06

内視鏡手術の名医による検査入院、ミエログラフィー投与、神経根ブロック注射
三泊四日の入院だった。

ブロック注射の効果は6時間だった。
効果時間は人によるようだが、同日ブロック注射をした年配の方は3時間しか効果がなかったようで、私の6時間は長い方なのだろうか?

検査入院の結果

手術をしても治るのか微妙なところで、治る可能性よりもリスクのほうが大きい。
痛みの原因がヘルニアなのかすら怪しい

それでも手術しますか?


そんなこと言われたらするはずない。

たしかにいたくて困ってる。
仕事も危険
(死んでいいので事故も怖くないが他人を巻き込む可能性)


ひとまず「保存療法」を続け、悪化したら手術、という流れにするよう決まった。


そして

2018/08

第三次ぎっくり腰大戦勃発。

いつも通りヘルニアの痛みに耐えながら会社近くの倉庫で、2トン車に、1ケース5~10キロのにもつを197ケースだけ積込み、いつも通り就寝。
秋田県行きだったので午前3時半起床、起き上がれない。

寝る前までは腰は何ともなかったのだが、起きてみたら腰は激痛、歩くのも困難。
こんな時間ではドタキャンも出来ない。代わりに走るドライバーがいない。
分かっていたので気合いで会社へいき、起き上がっているのも辛いなか4時間半かけて秋田へ

休憩出きるタイミングが出来ても2トントラックは狭く、寝転がることもできず、痛いまま座り続けるしかできなかった。

そして、その日から私は一ヶ月会社を休むことになる。
すでに決まっていた五つの仕事を全てキャンセルしてもらい。

次の週、少し歩けるようになったため、いつも通り薬をもらうついでにぎっくり腰をみてもらいに病院に行くとヘルニコアを紹介される。
8月から発売になったそうで、ためしてみませんか?と誘われ、次までに調べてみてください、と言われた。
腰痛がひどいときはヘルニコアは打てないそうだ。

さらに2週間後、腰痛もかなり落ち着いてきたので病院に行くと、いつもの内視鏡手術の名医は休みで、別の先生だったが、ヘルニコア治療をする意思を伝えると早かった。

よしきた!とばかりに入院日を決め、承諾書の説明をされ、入院前検査の尿検査や体温血圧を流れるように済ませた。


今度の入院は日帰りのようだ。



そして2018/08/30

入院、夕方ヘルニコア投与へ



次回、最終話

子は親の所有物


大多数のひとが「違うよ」

と声をあげるのでしょう

ですが日本では、もしかしたら外国でも、無意識に

子は親の所有物

であると認識されています。


ここからなぜそうなのか、一緒に考えていきましょう。

まずは出生から考えていきます。

できちゃった結婚は除き、子をなすとき、こんな言葉を交わしませんか?


「子供がほしい」


ほしい、とはどんなときに使う言葉でしょうか。

食べ物がほしい、水がほしい、金がほしい、彼氏(彼女)がほしい、助けてほしい

ほしいとは、基本「自分」のために使う言葉で、誰かのために使う言葉ではありません。

つまり、子供をつくるときに、「ほしい」といってしまったならば、それは「自分」のために、子供がほしい、ということです。


例外をあげるならば

子供を作り、自分達の遺伝子を残し、この美しい世界を見せてあげたい。たくさん楽しい思いをさせて「あげたい」

と思って子供を作るならば、「自分」のための子作りではないかもしれませんね。



つぎに、一大イベント、結婚について考えていきましょう。


成人し、二十歳を迎え、家を出て、自分で稼ぎ、自分で生活している自立した男女が結婚をするとき、日本にはおかしな風習がありますね


「娘さんと結婚させてください」
「娘さんを僕にください


二行目の「ください」の場合は旦那すら「娘」をもの扱いしてます

挨拶に行くのはたしかに大切です
ですが、することが間違っていると思いませんか?

「娘」という「物」を譲り受けに行くという最悪の「風習」

女性の権利が損なわれているとかそういった問題ではありません

「親」そして「夫」に「物」扱いを受けているのです

おわかりいただけましたでしょうか

たった二つの節目を取り上げただけでも、親の所有物である、という認識が、我々日本人に深く根付いているのはわかっていただけましたか?


「誰が育ててやったと思ってるんだ」
「誰が産んでやったと思ってんだ」
「誰が養ってやったと思ってるんだ」



日本では子は親の所有物で、「男」の場合、家を出ればそこで「物」扱いは終了します。

ですが、女性は家を出ても、結婚という節目を迎えると、今度は「夫」の持ち物になってしまうのです。

このような悪い風習がなくなることを切に願います。

ヘルニコアでヘルニア改善その5

ヘルニコア投与から2週間。

病院行きました。

問診とレントゲンだけでした。

レントゲンでは今のところ変化がありませんでした。

体調も変化はないです。

初日~3日目あたりの変化のまま変わった感じはありませんでした。


次に病院に行くのは一ヶ月後です。
次はMRIも撮るみたいです。


現在の体調としては横になったり歩いている分には良いが、40分~50分程度で痛みが走りました。

といっても、ひどいときに比べれば半分程度にはおさまりました。


私はヘルニコア投与直前(2週間前)に急性腰痛(ぎっくり腰)に襲われたせいか、ヘルニアの神経痛より、ただの腰痛のほうがひどいです…


日によっては食事後に皿を流しに持っていくのも辛いときもあります。


冷やせばヘルニアの神経痛がひどくなり、暖めれば腰痛がひどくなる

どちらも地獄


またなにか変化があれば、追記していきます

月利は1%で十分(今月はマイナス)

短期投資にチャレンジしてみるために定額プランを8月末から導入しました。

月末だったため、定額プラン代は稼げた気がしませんが、数百円は稼げたと思います。

勝率は半々ぐらいでしょうか?

金額でいうと負けてるかもしれないですが…

短期投資のほうは日本株でやってます。
米国株は貯金のように10社にまとめ、配当金を毎月もらうための会社と、キャピタルゲインを狙う会社とでまとめました。

それはまた別の記事でまとめます。



まとめて米株(インバ)
投資元本 20.000 円
評価額  19.570 円
含み益  ​-430 ​円

個別米株
投資元本 330.650 円
評価額  336.666 円
含み益  ​+6014 ​円

まとめて日本株(レバ)
投資元本 10.000 円
評価額 10.086 円
含み益 +86 円

個別日本株
投資元本 74.987 円
評価額  74.438 円
含み益  -549 円

買い付け可能額 0 円

​資産合計 440.760 円 

先月  ​465.386(-24.626)


まぁまぁ減りましたが、特にダメージとは思ってません。

日本株で2万円以上あった含み損を損切りしました。


金額は減りましたが、損切りする精神力やら、いろいろ学ばせてもらったので、勉強費としては、まだまだ安上がりでした。


定額プランにしたのでこれから毎月1058円ずつ黙ってマイナスになるので、それに負けないように、頑張りたいと思います。

ワンタップバイでのレバレッジ10倍(CFD)が始まりました。

一万円からできるようなので時間ができたら1万円から遊んでみようと思います。

二分の1のギャンブルですので、大金突っ込んだらそれだけで敗北者です。

『わたしの腰痛物語』第十二話

第十二話

KEY ~激怒~


4トントラックの仕事は過酷だった。
作業も、運転も、指導も。

月に二度三度、最大積載重量2.3トンのトラックに7.5トン(伝票上)積み込む日があった。
タイヤはグニャリと曲がり、ギアは1足でゆっくり発進しなければエンストするほどだ。

夢だった「トラック」に乗っているのに、気分は盛り上がらない。
つねに心に闇があり、人間的に大の苦手意識があった指導員が隣に乗っている。
盛り上がるはずもない。

この頃になるとYouTubeニコニコ動画を見ているときのみ、人間だった。
この時だけ、死にたい気持ちがざわつかなかった。

タイヤ交換の時期が近づき、いつ交換するか、指導員といつも相談していた。


そしてその日は大雨が降っていた。


タイヤはびちゃびちゃ、雨もザーザー、これは中止だろうなと思い、会社に戻り、整備庫へは向かわず駐車場の方に行き、トラックを停めると指導員は怒り出してしまった。
トラックを降り、なにがいけなかったのか聞いた。

中止するかどうか、まず指導員に聞くのが筋だろう、なんのための指導員なのか、なめるのもいい加減にしろ

とのことだった。

本当ならすみませんと、謝罪の気持ちが沸くはずなのだが、その時は沸かない。

そもそも心の闇※で、動揺とは無縁のこれ以上ないほど静まり返った心の私には何を言っても喜怒哀楽を感じないのだから。

※病院では鬱と診断されていないため闇と表記しています

だが、謝罪のきもちは沸かない代わりに怒りが込み上げた。

なめるのもいい加減にしろといったとき、その指導員はトラックの鍵を地面に叩きつけたのだ。

それが頭に来た。

たしかに相談しなかったことは悪かった、しかしだ、仕事道具の、トラックの、鍵を、地面に叩きつけるたぁどういう了見だ


こいつは自分より社歴も経験も歳も上かもしれないが、物を大切にできないやつは、プロのトラックドライバーじゃないな

物を運ぶ職業のプロが、物を地面に叩きつけるなんて、最悪だ。
プロ意識の欠片もない。

この人にはついていかない。

私はそう決めた。


そして、わたしは一人立ちし、プロの4トントラックドライバーになった。

荷物もお客様も、大切にし、同業のドライバーも大切にし、回りに気を使い、常に笑顔で仕事をした。
マグロの大手企業からのスカウトをうけるほどには回りからの信頼も築けた。
運転技術もデジタルタコグラフという機械で常に安全、経費、総合の全てで100点を取りつづけた。
(結構すごいこと、仙台支店では私だけが出来た)

この頃には、食事をとらないなんて当たり前、家に帰れば着替えもせず眠る
家では誰とも口も聞かなくなった。

恐らく会社の人もお客様方も、同期も、私がこうなっているのは気がついていない様子だった。


その頃だった。


私は堀江孝文の動画に出会った。
YouTubeホリエモンチャンネルである。

彼は言う、やりたいことだけやればいい、一人いなくなったからって、それで社会が回らなくなるなんてことはない、代わりはいくらでもいる、それが会社だから
やりたくないならやめればいい、やりたくないのに低賃金でいつまでも続けるやつがいるからいつまでも最低賃金が上がらない
どうしても必要な仕事なら、人がいなくて困ったら値上げするしかないんだから、みんなやめればいいのに



心に刺さる言葉たち、彼には俺なんかよりひろいひろい目線を持っていて、物事の本質を深く掘り下げる能力があるんだ。
そんな人が辞めていいと、言っている。

親も、心の中のもう一人の自分も許さないのに、この人は許してくれる。

なら・・・







それでもどうしても会社をやめる決断ができないで、時には泣きながらトラックのハンドルを握った。

ずっと大好きだったトラックのハンドルを




つづく


judgment
『わたしの腰痛物語』第十三話 - 正守式投資あふぃり

『わたしの腰痛物語』第十一話


第十一話


SuperPower ~健やかなる時も病めるときも~



私が指導することになった新人は心配性な私と違い、なんでもぐいぐい挑戦するタイプのようだったので、仕事内容を教えて、基本放置、改善した方が良い点を伝える指導スタイルをとった。
入社してわずか2年で指導するとは思っても見なかった。

基本放置のため、何度か大きなミスをしてしまった。
そのたび、いちから説明するのだが、焦るとどうしてもミスしてしまうようだった。

結局その後輩を一人立ちさせるのには7ヶ月もかかってしまった。


7ヵ月かかったのは後輩のせいではない。
私はこの後輩の指導が終わったら4トン車の指導を受けることになっていた。


その時だれに指導されるかわかっていたため、嫌だという気持ちが大きくなり、後輩への指導開始から4か月目で私は精神が病んでしまった。


つねに

死にたい、殺してくれ、死なせてくれ、働きたくない、人と顔会わせるのも嫌だ

そんなことが頭をぐるぐる回っていた。
私がひねくれものでなかったらリストカットもしていたかもしれない。


「手首に傷つけるなんて、私辛いの~、死にた~い、助けて~(チラチラ、ってかまってちゃんかよ、ほんとに死にたいやつはリスカなんかしないでさっさと死ぬんだよ」


と、心の中のもう一人の自分に言われるのだ。

私には逃げる道もなかった。

会社にもどるだけなのに、不整脈のように、心臓がドクドク跳ね回り、呼吸が苦しくなったりもした。

一度会社を休み、心療内科を受診した。
しかし、予約をとっていないという理由で三件断られた。

逃げ道がないだけではない。
助けてくれるはずの医者は飛び入りの困ってるやつは助けない。
親はもともと助けてくれない。

私は三件目の病院の入り口で泣き崩れた。
子供のように声をあげて

少し落ち着いてから親に連絡した。
さようならのつもりだった。



母が仙台の心療内科に連絡を入れてくれて割り込ませてもらえることになった。



グシャグシャの顔のまま30分ほど運転し病院へ向かった。


とても混んでいた。

入り口で簡単なアンケート?を記入し待つ。
人気の病院らしく、一時間半ほど待ち、やっと呼ばれたと思ったら心理テストだった。
ネットでさんざん見た内容。
ネットでやったときは78%うつ病の可能性だった。
心理テストが終わるとまた30分ほどまたされ、診察室に通された。

静かな診察室

先生「運送会社…運転しますか?」

私「はい」

先生「じゃあ薬は出せないので漢方出しときますね」

私「はい」

先生「漢方出しときますね??」

私「はい…あ、終わりですか」

先生「はい」

私「ありがとうございました」


私は心に刻んだ。

医者は困っている人を、免許を振りかざして金を巻き上げる悪魔だ。こんなやつら信用に値しない。

そして、後輩が一人立ちし、私は新たな4トントラックに乗り、指導を受けることになる。

心に闇を抱えたまま



つづく

KEY
『わたしの腰痛物語』第十二話 - 正守式投資あふぃり

『わたしの腰痛物語』第十三話


第十三話


judgment ~なにかが変わる~



9月、いつも通り朝5時に起床し、5時半に家を出て、6時過ぎに出勤、6時半に会社を出発、7時に積込を始める。

いつも通り泣きそうになるのをこらえ、周りには笑顔を振りまく。

仕事に来れば、人に会う。
人に会えば、感情と表情、行動と気力、何もかもにズレを抱えることになった。

一人でいるときだけはズレを感じなくてもよかった。
仕事がない日だけは、この世とのズレを感じなくてよかった。


誰にも会いたくない。
仕事もしたくない。


仕事をしなければ食べられず死ぬ


それが人のルール「常識」


死にたかった。

たくさん自殺する方法を調べ、安楽死を認めている国を調べた。

親は言う「死ぬぐらいなら仕事する方がましだろ?」

私は言う「こんな辛い気持ちでいきるなら死んだほうがまし」

そんな状況が、この9月で1年と1ヵ月続いていた。

解決するには

「死ぬ」か「仕事を辞める」か

「仕事」を辞めれば収入がなくなり、いずれ死ぬ

親が生きて「仕事」をしているため生活保護は貰えない

親は毎月きちんとお金を入れないならば追い出すと言っている

私を守ってくれる人はこの世にいない。殺してくれる人も。


なのに、急に降ってきた。


いつも通り作業をしているときに急に降ってきた。

「あ、会社やめよう」

もともと分かっていた。

「仕事」はやめられないけれど、「会社」は辞められる。

しかし、なぜかその選択肢を見ずに来た。

「会社」を辞めれば収入がなくなり、死ぬ

そこまで見ていたから、「見ずに」来た


「なんだ、やめたらいいんだ!」


その時はなぜか「辞めた」ら

収入がなくなる、という心配がなぜか起こらなかった。


積み地を出発し、すぐ、なぜか母に電話した。

※運転中の携帯電話の使用は違法です。真似しないでください

「俺、会社辞める!なんか、急に思い付いた!」


『死んでいいと思っている私にとって、法律なんぞ、上司なんぞ怖くない。』


その日の仕事終了後、すぐに支店長と話をした。


辞めさせてください。


まさか死にたいから、何て言えないので

他のこともやってみたいから、小さい頃からトラックドライバーになることしか考えてこなかったから、もっといろんなことを知りたい、もっと広い視野を持ちたい

トラックドライバーを65まで続けるのは無理だから若いうちに自分でお金を作れるようになりたい


そう伝えた。

納得はしてもらえたが、食い下がられた。

人手が足りないから、週何日かだけでもいい、「社会保険」もそのままで、働いて貰えないか




私は快く快諾した。


快諾してしまった。
ひとまず次に何をやるかなんか決めてないし、ただ、辞めたかった。

休みをたくさんもらえて、かってのわかる仕事、「社会保険」そのまま。

こんなアルバイトはなかなかない。

その時はそう思った。



10月、契約社員となり、週3~4日勤務「社会保険」付きで、働き始めた。

辞めると口にしているので、クビなんか怖れず、やりたくない仕事を回されれば「やりたくない」と言い、間違ったことを言われれば「間違っている」と、反論もし、「自由」に、「やりたい仕事」をやり、休みは現実逃避。

そんな日々が始まった。




つづく


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