『わたしの腰痛物語』第十話
第十話
rotation ~変わる時代~
一人で仕事するのも慣れ、お客様方からも、信用されてきた10月をもって、ワゴン車の仕事がなくなった。
会社にとってあまり美味しくない仕事だったようだった。
そういった事情ではあるが、晴れてヒノノニトンのドライバーになった。
またもツーマンの日々。
勝手の違う乗り物、仕事、そして指導員。
退職した我、師は、3ヶ月の間で注意、指導はたくさんされたが怒られたのはたった1度、だった。
しかし、今度の指導員は全く違うジャンルの人間だった。
怒られたのは2度、教わる謙虚さが足りないだとかそういった精神的なことでだ。
そのときは理解ができずムッとしたが、一番辛いのはムスッとした表情のまま腕を組んで足を開き、外を眺めながら一言も発しない時である。
…え、なんかミスった?
理由もわからず不機嫌なことが多かった。
怒られるよりもそれが一番精神的に辛かった。
仕事内容が変わったこともあるが、体重は5キロ落ちた。
就職から約一年で計10キロのダイエットに成功したのだ。
のちにもっと痩せるのだがそれはもう少し先のはなし。
激動の12月(繁忙期)
宮城に記録的な雪が降った。
免許をとってはじめての雪道が記録的大雪。
なぜかチェーンを巻かずに走らされていた。
おっかなびっくり30キロ走行。
三車線の坂道の真ん中で上れずくの字になって止まっているトレーラー。
その日は結局宮城では珍しく山形県の山形市や天童市並みに雪が降った。
はじめての雪道走行でクタクタだった上、帰り道は大渋滞
家につく直前の最後の直線の道、車が一回転した。
雪に止められ川に落ちずにすんだが脱出が一人では困難になった。
たまたま車に毛布があったので、タイヤに噛ませて脱出するか、と思ったとき、通りがかった車が止まり、手伝ってくれた。
まだ、こんな親切な人もいるのかと、暖かい気持ちになって、家に帰った。
そして私は一人立ちし、春が来て、ゴールデンウィークまえの第一次繁忙期を越え、お盆まえの第二次繁忙期を越え、そして、究極の年末12月の第三次繁忙期を越えると、私には直属の後輩ができていた。あっという間に4月になっていた。
2トン車の仕事では基本行動が全力ダッシュだったからか、その頃には「めったに」腰痛は顔を出さなくなっていた。
つづく
SuperPower
『わたしの腰痛物語』第十一話 - 正守式投資あふぃり