『わたしの腰痛物語』第九話
第九話
squall ~突風~
入社式が終わり、一週間の座学の研修を終えて、晴れて現場に出る。
採用人数は一人と聞いていたが、実際に採用されたのは三人だった。自衛隊から来た年上の同期と、同じ年の天然パーマ。
天然パーマの方は見るからにやんちゃ坊主、入社式にも髭ボーボーのままで来たアンポンタン。私はそう思っていた。
やっとトラックの運転手になれる。夢の職業、その入り口に立った喜びに包まれていた。
配属、というより担当する仕事が発表された。
自衛隊から来た年上の同期はもちろん4トン車の仕事。
天然パーマは2トン車の仕事。
私はキャラバンというワゴン車の仕事だった。
劣等感、嫉妬、様々な感情が入り乱れた。
ような気がした。
一瞬は確かに感じたが、やったことのない「仕事」というものに、ワクワクする気持ちのほうが大きかったからだ。
そこからはすべての時間が早く流れた。
あの状態を「充実」というのかもしれない。
仕事は覚えることばかり、点検、整備、走ったこともない広大な範囲の走行ルート、言葉使い、「社会」常識。
あっという間に3ヶ月がたった。
そろそろ一人立ち、私はワゴン車ドライバーだったが、トラック運転手にとって一人立ちとは、一人でトラックにのり、すべての仕事を一人に任される、その区切りがだいたい3ヶ月なのだ。
私もそろそろ一人立ちが見えてくる。
そんなとき、就職以来最大の事件が起こる。
恐らく未だにこれを越える事件は起こっていない。
しかし、社会全体で見たら当たり前で、常にどこでも起きていることなのだろうが、私はこの事件を境に、会社を信用することをやめた。
私に仕事を教えてくれていた師が、退職することになったのだ。
理由は単純、転勤を断ったのだ。
わたしの師は優秀だった。
整備士であり、運行管理者であり、ドライバーも出来た。
私のいた仙台支店において、ドライバーと事務職をつなぐ要の役割も果たしていた。
師はもともと本社の人間で、仙台支店が出来て
整備のできるドライバーを育成できるのは自分
そう思い、社訓にもある「社業発展のため」自ら志願し仙台支店に転勤した。
が、戻ってこいと、何度も本社から通達があったそうだ。
自分が本社に帰れば、整備を教えられる人間が、仙台にいなくなる。
そう考え断り続け、最終的には退職においこまれた。
会社にとってなんの利益もない退職、必要な人材を平気で手放す会社を、信用できるはずもない。
私は会社のためではなく、お客様と、自分のために働くことを決めた。結果的に会社のためになる、というところまでは当時の私は考えられずに。
つづく
第十話
rotation