『わたしの腰痛物語』第八話
第八話
first end ~終わりの始まり~
時が過ぎ、高校生三度目の夏が来た。忙しさに拍車がかかる。
就職活動が始まる。
休み時間の度、誰かしら教室の前におかれた求人表の束と睨みあっていた。
私は「業種」は決まっていたので、求人が来るのを待つだけだった。
新しいものが増えれば放課後ちらりと見るだけ。
最終的に求人自体は数百と来るのだが、運送会社からのドライバー求人はわずか三社にとどまった。
あたりまえだ。
高校生は免許がないのだから。
現在の就職活動において事前の職場見学は一般的である。
就職を考えている企業を学校に提出し、職場見学を依頼してもらう。
私は三社のうち二社の見学に行った。
家近くの黒い猫の宅配会社(大企業)と、福島に本社がある運送会社の仙台支店(中小企業)だ。
大企業は黙っても人が来るからか、見学者の扱いは雑で事務所内も汚かった。
いまでも印象に残っているのは企業説明が始まるまで待つことになった部屋の机に豚が交尾しているフィギュア(かなりリアル)が置いてあったことだ。
中小企業のほうは見学者にたいして紳士的だった。
建物ができて数年しか経っておらず、掃除も行き届いていた。
言うまでもないが、私は中小企業のほうを選んだ。
そして、各々履歴書を送りたい会社を決め、企業の採用人数が発表された。
私の選んだ会社は採用人数一人。
学校内での希望者三名。
学校側は一企業にたいし、採用人数より多く、生徒を推薦することはできない。
採用人数より多い場合、先生方が協議し、採用人数まで削るのだ。
私は1:3の数字を見ても欠片も焦らなかった。
私は勉強や運動ができなくてクラスで10位程度まで席次は落ちていたが、学年では変わらず3位以内(体育など実技が含まれない)だったので負けるはずがない。
二年半で築き上げた自信が不安など微塵も感じさせなかった。
もちろん私が選ばれた。選ばれなかった二人には残念だが、当然、と思っていた。
しかし就職面接、会場にいってみるとすでに二人いた。
真面目そうな人と机の前まで足を広げて座っている人。
緊張はしていたが不採用のイメージなど欠片も浮かばなかった。
しかし、筆記試験で私はゾッとした。
燃費の計算、走行距離から行き先までかかる時間の計算などは、いままで勉強したことの応用でなんとか解けたのだが
問、現在の首相の名前を感じで書きなさい
答、安倍…しんぞうってどうかくんだっけ
(A、晋三)
漢字は大の苦手だ。
そのほかにも
問、次の市町村がある都道府県を書きなさい
など、宮城からほとんど出たことがなかった私には欠片もわからない問題ばかりだった。
ただ単に地理がにがてだったのもあるが。
筆記試験が終わる。
そのとき私はもう、自信という強みはなくなり、川で溺れた子犬のような気分だった。
そして面接。
ソファとテーブルだけの狭い部屋で教科書通りの行動と共に始まった。
相手は二人、支店長と名乗る老人と、見学時に一度顔を合わせた課長。
ソファに座り、課長からの一言
「ズボンどおしたの?」
へ?
緊張のあまり何をいっているのか理解できなかったが、すぐに思い出す。家の目の前で原付バイクを転倒させ穴が開き、修正したあとがあったのだ。
一瞬間をおいた(教科書通り)あと
「転びました」
と、正直にこたえた。
面接のなかでいくつもの「嘘」をついた。
欠席理由は風邪だとか、腰は丈夫だとか、事務所の仕事をしてくれと言ったらやるかと聞かれやると断言したりした。
このときになっても、たびたび腰痛に襲われ、コルセットを巻いて登校なんて日常茶飯事だった。げんにこのときもコルセットを巻いて来ていた。
最後に支店長から言われたうれしい言葉と絶望の言葉。
「今回君以外に11人も採用試験を受けているんだけど、君は本当にうちでいいの?こんな5ばっかりの成績表見たことないよ?もっといい会社いくらでもあるでしょ?」
即座(教科書通り一呼吸開けて)に答えた。
「トラックの運転手になるのが夢で頑張ってきました。運送会社以外は考えていません。」
この答が正しかったのかはわからないが、無事採用となった。
つづく
第九話
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