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『わたしの腰痛物語』第三話

わたしの腰痛物語



第三話

repeat&fault ~繰り返す悲劇の連鎖~



ぎっくり腰になった当日。
動けなくなって数時間で寝返りを打ったり、起き上がってお茶を飲んだりできるくらいに回復した。
この調子で回復していけば明後日には元通り。
そう確信し、病院にはいかなかった。
というのも私は中学校に上がる前から母に言われ続けていた言葉があるため「病院に連れていって」とは言えなかった。

わたしの祖母は「てんかん」という持病を持っている。
母が子供の頃は、まだその「てんかん」の発作のメカニズムがわからないことが多く、母が小学校の低学年のとき、倒れたことがあった。おそらく貧血だったのだろうが、東北大学病院の医者たちはてんかんの発作の可能性を考えた。
てんかん」が遺伝子で遺伝する可能性がある、として精密検査を繰り返した。
何年にも渡って。
祖母は仕事があったため母には付き添えず、母は小学校低学年のときから一人でバスに乗り、電車で30分移動、またバスに乗り東北大学病院へ。それを毎月繰り返していた経験から、たとえ熱が出ても自分で歩いて病院へ行っていたのだ。そのため、私が小学校高学年になる頃には、私を病院につれていくたび

「こっちは小学生のときから自分で歩いて病院いってんだ。もういい年なんだから自分一人でいけよ」

そういわれていたからだ。
16歳にはなったが、原付バイクの免許も持っていない私の病院への移動手段は自転車のみ。
タクシーに乗るお金もない。バスなど小学生の時しか利用したことがない私にとって、移動は自転車。これは決定事項だった。
しかし、いくら楽になってきて、すこし歩けるようになったからと言って、自転車などこげないし、段差などのガタガタを想像しただけで冷や汗が出る。

つまりは、現状維持。自然回復に期待。これが答えだった。

母に「病院いかねえの?」と、きかれても
「大丈夫大丈夫。明後日には完治よ、若いから(笑)」とおどけるしかできなかった。


翌日もごはんをゆっくり座って食べるのは辛かったが、回復に向かっている気はしたため、本当に治りそうだ、と思った。最悪明後日も、休んだとしても、すぐ土日、計いつかあれば動けるようになるだろう。
そう思った。


案の定土日まで行動不能だったが、月曜日は父のコルセットを借り、登校した。


想像以上に自転車は辛く、段差などの衝撃が来そうな所では、たちこぎ状態プラス、膝を軽く曲げ、クッションにしないと、歯ぎしりものの痛みが襲った。
担任とぎっくり腰経験持ちの同級生だけが心配そうにしてくれたが、他は「お前もか(笑)」といった空気だった。


そして3月末、世は春休みに浮かれる頃。農業高校にも名ばかりの春休みが訪れる。一週間ほどの休み中3日は登校だ。
変わらず腰痛と戦いながら生活していた。
楽な日もあれば自転車に乗れない日もあった、そんな日は父に駅まで送ってもらう。そんなある日。



わたしにもやってきたのだ。

それまでなんともなかったのに。




花粉だ。



目がかゆい。鼻がかゆい。鼻水が止まらない。



くしゃみが止まらない。


くしゃみが、とまらない。




つづく



第4話

break the world『わたしの腰痛物語』第四話 - 正守式投資あふぃり