正守式投資あふぃり

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ヘルニコアでヘルニア改善その4

ヘルニコア投与から一週間が経ちました。

状況は『あまり変わらず』

というのも、ヘルニアが原因の神経痛は、2日程度で、かなり改善しました。

例をあげれば体育座りが出来るようになったり、10分程度なら床であぐらをかいたりできるようになりました。
ほかにも、歯磨き後のうがい時、腰をかがめて「べー」っとできます。
ラーメンをふーふーするときも、首を下に向けても、痛みは走りません。

※床にあぐらは腰にもっとも悪い座りかたです。即刻やめましょう。

寝るときに一番実感するのですが、神経痛はほぼなし。

枕を高くしたり、寝転んで足をあげたりするとらやはり太股からおしりが裂けそうに、いつもの神経痛は襲ってきますが、日常生活の範囲では、ほとんど痛みは感じません。



しかし、腰が痛い。


筋肉の損傷なのか、腰を押したりすると痛みが走ります。


今までですと「腰がいたいなぁ」
という時、寝転んで、腰の下に握りこぶしを挟み、ごりごりすると気持ちよかったりしたんですが、今やると、余計に痛い!

それこそヘルニコア投与前のヘルニアの神経痛並の痛みが走ります。


どうも腰が痛い。

もともと副作用として「新たな腰痛」とは書いてありましたが、じきに治るとも書いてあったので期待。
来週病院に行くので先生に聞いてみます。


≪まとめ≫

一週間で神経痛はほぼ改善。
しかし、副作用と思われる腰痛に悩んでいる。

『わたしの腰痛物語』第十話

第十話


rotation ~変わる時代~



一人で仕事するのも慣れ、お客様方からも、信用されてきた10月をもって、ワゴン車の仕事がなくなった。

会社にとってあまり美味しくない仕事だったようだった。

そういった事情ではあるが、晴れてヒノノニトンのドライバーになった。

またもツーマンの日々。
勝手の違う乗り物、仕事、そして指導員。

退職した我、師は、3ヶ月の間で注意、指導はたくさんされたが怒られたのはたった1度、だった。

しかし、今度の指導員は全く違うジャンルの人間だった。

怒られたのは2度、教わる謙虚さが足りないだとかそういった精神的なことでだ。

そのときは理解ができずムッとしたが、一番辛いのはムスッとした表情のまま腕を組んで足を開き、外を眺めながら一言も発しない時である。


…え、なんかミスった?


理由もわからず不機嫌なことが多かった。
怒られるよりもそれが一番精神的に辛かった。

仕事内容が変わったこともあるが、体重は5キロ落ちた。

就職から約一年で計10キロのダイエットに成功したのだ。

のちにもっと痩せるのだがそれはもう少し先のはなし。


激動の12月(繁忙期)

宮城に記録的な雪が降った。

免許をとってはじめての雪道が記録的大雪。

なぜかチェーンを巻かずに走らされていた。

おっかなびっくり30キロ走行。

三車線の坂道の真ん中で上れずくの字になって止まっているトレーラー。

その日は結局宮城では珍しく山形県山形市天童市並みに雪が降った。

はじめての雪道走行でクタクタだった上、帰り道は大渋滞

家につく直前の最後の直線の道、車が一回転した。
雪に止められ川に落ちずにすんだが脱出が一人では困難になった。

たまたま車に毛布があったので、タイヤに噛ませて脱出するか、と思ったとき、通りがかった車が止まり、手伝ってくれた。

まだ、こんな親切な人もいるのかと、暖かい気持ちになって、家に帰った。


そして私は一人立ちし、春が来て、ゴールデンウィークまえの第一次繁忙期を越え、お盆まえの第二次繁忙期を越え、そして、究極の年末12月の第三次繁忙期を越えると、私には直属の後輩ができていた。あっという間に4月になっていた。

2トン車の仕事では基本行動が全力ダッシュだったからか、その頃には「めったに」腰痛は顔を出さなくなっていた。



つづく



SuperPower
『わたしの腰痛物語』第十一話 - 正守式投資あふぃり

婚活はじめてみました

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心理学的に合うひとを探したり、好み、趣味で探すこともできて、便利なアプリです。


私のお嫁さん候補へ求める条件

・共働きで良い人
・趣味へ理解のある人
・お互い成長しあえる関係を築けそうな人
・ディズニーランドに行きたがらない人
子供を欲しがらない人(これ大事)

以上がプロフィールでわかる範囲。以下は会ってみなければわからない事。

・見下してこない人
・言葉遣いが汚くない人
・食事が汚くない人
・清潔感がある人


たったこれだけ。

あえて増やすならあごと首が繋がるレベルで太っていないこと。
マツコ・デラックス級)

たったこれだけなんだけどクリアできる人が少ない。

主に

・ディズニーランドに行きたがらない
・子供を欲しがらない

をクリアできる人がいない…

どうして女性はディズニーランドに行きたがるんでしょうか…
私は遊園地自体が苦手で、ただ回るだけの乗り物とかじゃないと楽しく乗れないんです…
コーヒーカップとか、メリーゴーランドとか。
パレードとか、ディズニーキャラクターも興味はないですし…



そして肝心なのが子供のこと。

この記事を読んでる人に子供はいますか?

また、子供を作るということがどういう事か、どんな覚悟が必要なのか、本当にわかっていますか?


わたしはその覚悟ができないから子供は作りたくないと思っています。


・五体満足で健康に生まれて来るのか
・障害をもって生まれる、また、途中で障害を発症する

この場合私は逃げずに、最後まで養って、育てることができるのか。

綺麗事ではなんとでも言えるけれどそれは過酷で、私は自分の人生すら終わらせようとしていたのに、、

こうなったとき、私は、自分ごと終わらせようとするかもしれない。

そんな恐れがある私は、子供を作ってはいけない。

育てることができないのに作ることは一番やってはいけないことだと、私は思っているから。

そして、わたしが、私だからこそ恐れていることもあります。


「何で私なんか産んだの」
「生まれてこなければ良かった」
「生まれたくなかった」
「しにたい」


わたしはどれも同じく思ったことがあります。

もし、子供にこんなことを言われてしまったら…

この世が地獄だとわかっているのに産み出してしまった自分を

許すことができないでしょう…

子供にはただただ謝ることしかできない

この世界の希望を見せてあげられない自分が、希望を知らない自分が親になってしまった事が原因で、一番大切な人に、死を望ませてしまう

そんな未来の可能性を考えたとき




やはり、私は親になることは許されない。


父になることはできない。



外国のマイナー映画の台詞なのですが聞いたことはあるでしょうか?

「親は僅か9秒間の快楽のために、子に60年の苦痛を強いる」


なるほどと、思いませんか?


私は同意します。

少なくともこの台詞を論破できるくらいに、この世に希望を感じなければ、私は親にならない、親になるような行為は絶対にしない。

そう考えています。

なので子供は作らなくていいという方でなければ、私は結婚できない。




以上です。

ヘルニコア治療時の初体験…


始めにいっておきますがえっちな意味じゃないですよ!

ヘルニコア治療受けたときにはじめて経験した気を失いそうになった体験をここに書きます。

時は注射終了直後に戻ります。



エレベーターに向かうとき、目がチカチカしはじめました。
頭から血が下がっていく感じがし、看護婦さんに状態を話続けました。
「貧血みたいな、こう、頭から血が下がっていくような…あー目もチカチカする、吐き気ですか?ありますけどまだ耐えられる吐き気です…あー耳も遠くなってきましたぁ…あー」

話ながら4階に到着…

だめだぁ部屋まで持たない、視界がぼやけるぅ

考えながら部屋に到着…

もう少しだけ頑張って!ベッドに倒れこんでいいから!!
「もう無理ぃ…」

呟きながらベッドに倒れこむ。
腰の痛みなんか感じない。

はぁ…間に合ったぁ…

血の気が頭までじわーっと戻るのを感じた。

看護婦さんふたりがかりで体を枕元まで引っ張りあげられ血圧を測る。
「血圧88!先生に連絡して!」

呼吸は(;´Д`)ハァハァ
全身しびれる感覚が襲う。

「いや…だいぶ楽になってきました…」

呼吸が楽になってきた。看護婦さんがベッドの足の方をあげてくれた。

時間にしてほんの2分程度で落ち着いた。
血圧ももとに戻り、顔色も良くなったようだ。
気がつくと手は冷や汗でぐっしょり濡れていた



血管迷走神経反射性失神



と言うらしい。
看護婦さんに言われた。
注射の痛みに反応してからだが勝手に意識を飛ばそうとするみたいです。

採血の際に聞かれる

「注射の時具合悪くなったことありませんか」

は、このために聞くんだそうです。


これからは私も採血のときは横になって受けようと思います。


以上わたしの初体験(失神しかけた)話でした。

ヘルニコアでヘルニア改善その3

いざ入院!

2018/08/30

病院で受けた、ヘルニコアの説明をします。
ヘルニアで困ってる人、病院でヘルニコアを勧められた人に、可能な限りの情報をお届けします。

≪入院中の流れ≫

10:00入院
さくっと着替えて体温、血圧を測る。

12:00昼食
食後、消毒の薬を飲みます。でかい粒2つ。

15:00点滴開始
乳酸ナトリウムリンゲル液
を点滴しました。

16:00治療開始
腹ばいで消毒後、痛み止の筋肉注射をうつ

次に大本命ヘルニコア

もう一度刺します。そして針をさしたまま?体を斜めにしたりして、様々な角度から撮影。
針の刺さり具合(深さ)を確認し、薬を投与。

部屋に戻り、30分安静。

16:30主治医が様子を見に来た。
寝ているだけなので今のところ改善も悪化もなかった。
トイレに行ってもいいと、ここで言われた。

17:30点滴終了
血圧も問題なく、このときはじめて起き上がった。
足の感覚があるかの確認だった。
異常はないが、腰痛はひどくなった。
トイレにいってみた。
腰の痛みが半端ではない。
ぎっくり腰なみだ。
一歩一歩ゆっくり体の芯をまっすぐ保ち、手すりを使いながらゆっくり歩いた。

18:00夕食
座っているのが辛く、ベッドの柵にもたれ掛かりながらの食事。
ヘルニアの神経痛というより、ぎっくり腰のような、ぎっくり腰の痛みを体の中心にまとめたような痛み。
歯磨きをしに、洗面台に行った。
トイレに行ったときよりかなり楽になっていた。
うがいでべーっとするときは壁にてをつきながらすると、楽だった。

21:00消灯・就寝
寝るとは言ってない

6:30起床
すでに太ももやふくらはぎの痛みが無いような、逆に痛みがないという違和感があった。

7:30朝食
久々に椅子に腰かけての食事。
家では台所で立って食べていた。

10:00主治医が様子を見に来る
数ヵ月ぶりに体育座りが出来た。

そして、事務の人が請求書を持ってきた。

一泊二日で御値段


55000円!病院にもよると思いますが

まぁ高いですね。
検査入院&神経根ブロックしたときは三泊四日で48000円でしたからかなり高いですね。

二週間後、また外来でみてもらうようです。

効果が出るのに遅い人だと2週間から3ヶ月くらいかかると言われていたけれど、一晩でかなり回復した。

まだちょっと腰が痛いけど。

とりあえず退院はできました!

≪感想≫
まず痛み止の筋肉注射、あれめちゃくちゃいたいです。筋肉つまんでつねりあげるような痛みでした。
個人的には仙骨ブロックより痛かったです。
さすがに神経根ブロックよりは痛くなかったですよ!
次にヘルニコアの投与ですが、針さしてからそこそこ動いたので、やっとかよ!というかまだ終わんないの…(;´д`)という感じでした。
投与自体はそんな痛くないです。
ニュッて感じでした。

ところが…ヘルニコアの針さす時、2回も神経にさわってしまい、ブロック注射並みの痛みを味わいました…
ただでなくても狭くなってる骨の間を通らなくてはいけないのに、神経まで避けて椎間板に刺すのはなかなか難しいようです。

聞いてたより痛くて…( ;´・ω・`)

終了後、車イスに乗るんですが、腰がスーパー痛い!
「座れないよ!」って思いました。ぎっくり腰の時と一緒で、腰だけで体重を支えようとすると腰がくだけ散りそうになりました。
まぁ頑張って座って、両腕で体を浮かせるような状態で部屋まで運ばれました。


ここでちゃんちゃん、じゃないんです!


入院中に起こった初体験についてしたの記事に書きました。

あわせて読んでみてください。

ヘルニコア治療時の初体験… - 正守式投資あふぃり

ヘルニコアでヘルニア改善その2

はじめに、ヘルニコアのパンフレットをもらったのでそこに書いてあった「起こるかもしれない副作用」をまとめます。

皮膚症状
かゆみやじんましん、紅斑、発赤など
呼吸器症状
声のかすれ、くしゃみ、唇の腫れ、息苦しさなど
消化器症状
腹痛、吐き気など
視覚症状
視界が狭くなるなど

アナフィラキシーの発現の可能性があります。

そのほか、治療後一時的に腰痛が強まったり、あらたな腰痛が起こる場合がありますが、時間の経過でよくなります。


また、次のような方は投与前に必ず主治医に相談してください

・アレルギー体質の方
・腰椎不安定性の疑いがあると医師に言われたことがある方
・ヘルニア以外の脊椎疾患のある方
骨粗鬆症、関節リウマチのある方
・妊娠中、また可能性のある、授乳中の方


以上を踏まえて治療に当たってくださいね。



≪知らなかったヘルニコア!≫

一生涯で一度しか受けることができない。

そのため、ヘルニコアを受けた証明となる、カードを渡された。


入院からのながれを、実体験をもとにまとめました。
あわせて読んでみてください。

ヘルニコアでヘルニア改善その3 - 正守式投資あふぃり

『わたしの腰痛物語』第九話

第九話


squall ~突風~


入社式が終わり、一週間の座学の研修を終えて、晴れて現場に出る。
採用人数は一人と聞いていたが、実際に採用されたのは三人だった。自衛隊から来た年上の同期と、同じ年の天然パーマ。

天然パーマの方は見るからにやんちゃ坊主、入社式にも髭ボーボーのままで来たアンポンタン。私はそう思っていた。

やっとトラックの運転手になれる。夢の職業、その入り口に立った喜びに包まれていた。

配属、というより担当する仕事が発表された。

自衛隊から来た年上の同期はもちろん4トン車の仕事。
天然パーマは2トン車の仕事。



私はキャラバンというワゴン車の仕事だった。



劣等感、嫉妬、様々な感情が入り乱れた。


ような気がした。


一瞬は確かに感じたが、やったことのない「仕事」というものに、ワクワクする気持ちのほうが大きかったからだ。


そこからはすべての時間が早く流れた。


あの状態を「充実」というのかもしれない。

仕事は覚えることばかり、点検、整備、走ったこともない広大な範囲の走行ルート、言葉使い、「社会」常識。

あっという間に3ヶ月がたった。

そろそろ一人立ち、私はワゴン車ドライバーだったが、トラック運転手にとって一人立ちとは、一人でトラックにのり、すべての仕事を一人に任される、その区切りがだいたい3ヶ月なのだ。

私もそろそろ一人立ちが見えてくる。

そんなとき、就職以来最大の事件が起こる。
恐らく未だにこれを越える事件は起こっていない。

しかし、社会全体で見たら当たり前で、常にどこでも起きていることなのだろうが、私はこの事件を境に、会社を信用することをやめた。


私に仕事を教えてくれていた師が、退職することになったのだ。


理由は単純、転勤を断ったのだ。


わたしの師は優秀だった。
整備士であり、運行管理者であり、ドライバーも出来た。

私のいた仙台支店において、ドライバーと事務職をつなぐ要の役割も果たしていた。

師はもともと本社の人間で、仙台支店が出来て

整備のできるドライバーを育成できるのは自分

そう思い、社訓にもある「社業発展のため」自ら志願し仙台支店に転勤した。

が、戻ってこいと、何度も本社から通達があったそうだ。

自分が本社に帰れば、整備を教えられる人間が、仙台にいなくなる。

そう考え断り続け、最終的には退職においこまれた。

会社にとってなんの利益もない退職、必要な人材を平気で手放す会社を、信用できるはずもない。

私は会社のためではなく、お客様と、自分のために働くことを決めた。結果的に会社のためになる、というところまでは当時の私は考えられずに。



つづく



第十話

rotation

『わたしの腰痛物語』第十話 - 正守式投資あふぃり